Novaさんとの出会い

2回目の旅となった今回、最終日の最後に行ったのが、Suwe ora Jamu(スウェ・オラ・ジャムウ)です。そう、『ジャムウの物語 インドネシアに伝わる美と健康の遺産』の著者となったNovaさんのところです。
ジャカルタ南部で、ジャムウカフェとJamuのワークショップをしている方です(当時はジャムウドリンクの販売を始めたばかりのころ)。

前回のIrmanida教授も私のJamuにつながる道を繋いでいただいた1人でしたが、このNovaさんは、それこそ、その道を作ってくれたとても大切な人です。

ただ、本格的に親交を深めていくのは次回の渡航からで、この時点では「Jamuのワークショップをしている方」ということで、Jamuについてインタビューするという目的だったのです。

実は、Novaさんと初めて会ったとき、「どこかで会ったような顔の方だなぁ」という印象を持ちました。私の知人に雰囲気や顔が似ていたのです。

そして、NovaさんからJamuのことやワークショップの話などいろいろ聞くことができ、ショップとは異なる「ワークショップ」というイメージも浮かんできました。「日本でJamuのワークショップを開きながら、家庭で楽しむJamu」というイメージです。当時は深く考えず、インスピレーションで浮かんだアイデアです。

「たぶん日本にもインドネシアの人たちがいる。その中にはJamuを作っている人もいるはずだから、その人を講師にすれば実現可能化も」という考えです。この考えは今でも同じなんですが・・・。

本来なら、インタビューが終わり、Novaさんとも再び会うこともないはずだったのです(その前の段階で日本でJamuのドリンクを広めるのは難しいと思っていたので)。

インタビューの最後に、私がNovaさんにこんな質問をしました。
「なぜ、Jamuを仕事にすることにしたんですか」と。

その時の答えが
「Jamuは長い歴史を持つインドネシアのとても大事な遺産です。でもそれがなくなってしまう危機が来ています。今、若者はJamuを飲まなくなっています。Jamuを飲まなくても、もっとおいしい飲み物があるからです。インドネシアの伝統が私たちの世代で途切れてしまうのはとても悲しい。だからこのお店とワークショップを通じて、Jamuの文化を繋いでいきたかったのです」

この一言が、私がJamuを日本でも広めていこう、と決めたきっかけであり、その後『ジャムウの物語』が生まれた原点だったのです。

Novaさんとのことは、これから度々出てきます。

今でも私にとってとても大切な人の1人となっています。