この一言が私の運命を決める

リゾート地であるバリに降り立ったにもかかわらず、Jamuづくりのワークショップをしただけで翌日にはジャカルタへと舞い戻った私たち。今思えば「なんて強行スケジュール」で「仕事しかしない旅」であった、BLOGを書くにあたって、当時の資料を読み返すと、改めて感じてしまいます。それだけ、Jamuを知ることに特化していたし、インドネシアの面白さに気づいていなかった、ということ。
だったのでしょう。
というわけで、バリから再びジャカルタへ。
インドネシアと製薬会社として知られるカルベファルマへの訪問と商務省の方とお会いするスケジュールが組まれていたから。

カルベファルマについては、「まあ製薬会社だなぁ」ぐらいの印象しか残っていないのと、Jamuは薬ではない(厳密に言えば医薬品グレードのJamuは存在するが、国内でのJamuに対する認識は健康・美容ドリンクというイメージの方が強いと感じた)たのは覚えています。

で、カルベファルマ訪問を終え、向かった先は産業省。それもジャカルタ市内の渋滞にはまりながら、で。
初訪問から数年後になると、ジャカルタ市内の渋滞にも慣れ、その分時間に余裕を持ったアポイントをするようになり、ジャカルタ市内にMRT(日本の政府開発援助によって作られた日本式の地下鉄にようなもの)が走り始めると、以前よりも渋滞が緩和されたように感じています(それ以外の要因もあるのだが)。

産業省でお会いしたのが、ディアにさんという方で、ついこの間まで日本のインドネシア大使館にいた方で、とても気さくで、日本とインドネシアのビジネスを発展させたいという想いを持った方でした。

日本を知っているということもあって、つい会話が弾みます。そして私たちがJamuに興味を持っていることを知ると、ディアさんが知っているJamuの会社をいくつか教えていただきました(その中にもシドムンチュルが入っていた)し、数年後ジョグジョグジャカルタに行ったときに訪問した会社の名前もありました。

その会話の中で、私が農業省のアニさんと会ったとき同じように「日本のWEBサイトでJamuを調べるとと、いろいろ情報があふれている。でもそれは精力剤や石鹸など特定の商品を指す言葉として使われている。数日間のインドネシア滞在でいろいろ見たり、聞いたり、飲んだりしてみたが、ジャムウはもっとインドネシアの人々が大切にしている伝統であり、健康・美容のメソッドであると思った。だからこそ、もっとJamu知りたいと思った」という話をしたのです。
そして、最後の一言で「私たち(この時はメンバーがほかにもいたので)がインドネシアが大切につないできたこのジャムウを日本で正しく伝えられるようにします」と宣言してしまったのです。

人によっては、そんなことと思うかもしれないが、私の中ではこの宣言が今もジャムウを広める活動の原動力になっています。

この後も何度かインドネシアに行っていますし、日本でもインドネシア大使館の方々とお話する際にも、繰り返しこの想いを伝えています。

「なぜJamuなんかやっているの」と聞かれることが多いのですが、この宣言が今も続けている理由であり、信念でもあるのです(途中下車ができなくなった、とも言えますが…)。

次回は 日本に帰ってきてから考えたこと です。